卵は、二度うまれる。人も、二度うまれる。
卵は創造のシンボルです。
あらゆる創造の可能性を内包する原初の混沌だそうです。
卵は親鳥が自身の力で産み落とし、
そして、雛が己の力で殻を破り産み出ます。
雛に力が無ければ、そのまま殻のなかで死んでしまいます。
自らの強い意志(エネルギー)が必要です。
人も同じだなと感じます。
気がつけば、自分が存在していて、勝手に親が生んでくれている。
そして、自分が何のために生きているのか、わからない。
自分の人生のテーマ、それはありもしないものかもしれませんが、
考えずにはいられません。
それは、卵のような殻なのかもしれません。
自らを閉じ込める限界としての殻、壁です。
何のために、自分の力を発揮すればいいのかわからない・・・。
それに苦しめられたり、諦観の境地にいたるのかもしれません。
しかし、それでも、目指すべきは、本分の発揮です。
自らにそなわった能力の発見、その展開です。
でも、自らの可能性を信じずに、限界の中で佇(たたず)んでしまう。
いやむしろ、限界という殻さえ、感じず、見えず、生きてしまうのかもしれません。
封建時代であれば、親の仕事を継ぐだけですが、成熟した現代だから、
こうした意識が働き、限界と展開に振り回されてしまいます。
何か違うというものが見えること、感じること、変えること、
そこに力の起点、展開の起点があり、
クリエイティブ(創造)といえることにつながっているように感じています。
それは、人の中には種火があるからです。
たとえどんな人であろうとも自己の可能性を信じています。
見るということ、見方という視点が、概念(思想)だそうですが、
そこにデザインが存在しています。可能性を見るという意味です。
「思考は現実化する」は有名な言葉ですが、
そうした広い意味でのデザインを知ること、実感することに
つきない興味があります。
人とは(孵化可能な)卵である。
それが私の仕事の核心にあって、
あきもせずずっとこのデザインの仕事をしていると思います。
二度、産まれるために、美(可能性)という覚醒があるはずです。
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